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2011_07/29

「糸口の発見」

日記更新をしない記録をさらに更新してしまった。
でも、私の「こんがらがってしまった頭の中」を綺麗にほどくためには、必要だった時間だと思う。
おかげで、いろいろな糸口を発見することができ、今は、とてもすっきり。
自分の「幹」に当たる部分が何なのかが分かり、
ゆえに、これからやっていきたいこともはっきりしたのだ。

それから、こんな更新頻度の低い日記なのに、
「ハイランドを聴きましたよ」と何人にも声をかけて頂けたことで、
どんなふうに生きていくのが自分らしいかも、分かったような気がしています。
見捨てずに訪問して下さり、本当にありがとうございます。

さて、まず、悩んでいた「選択」について、ですが、
「選択など不要。」に思い至ったことを報告させて下さい。

きっかけは、小学校時代の友からのメールでした。
帰る方向が同じだったことと、背の順が近かったことだけで友達になったYちゃんとは、
今でも気が合うし、「考え方が似ているね。」と言い合うことがしばしばなのですが、
よく考えると、中学の時の友達も高校や大学の友達も、同じく「選んだ」記憶は全くなく、
出席番号が近かったり、帰る方向が同じだったりで知り合ったのだけれど、
お互いに影響を及ぼし合いながら関係を育んできたおかげで、
とても価値観が似ているような気がします。
で、思い出した!
素敵なモノは、選んで得るものではなく、育てるものだったことを。
ただただ、与えられたこと・物・チャンスを大事にしていけば、ちゃんと育っていくのですよね。

育つといえば、TSUKASAくんの長年の夢だったStill... you turn me onのライブに参加させて頂いた時、
手間暇を惜しまず夢を少しづつ少しづつ育てていくTSUKASAくんの姿を見て、ちょっと感動しちゃいました。
それは、土作りをして、種を蒔いて、水やりをして・・というように、
彼が実際に畑でやっているような感じで育てられていったのですが、
自然や人が関われば、当然、自分が思い描いていた通りにはなっていかないわけです。
でも、それでも全体を見渡し、頑張って対処し、そこから多くを学び、次への抱負を語ってくれた友に、
私も、大きく育てて頂いたように思います。

人間は植物に例えられると聞いたことがあります。
たんぽぽとして生まれた人は、踏まれてもたくましく生きていけるし、
木として生まれた人は、自分で水分や養分を探し出せる。が、
薔薇や野菜として生まれた人には、殺菌と栄養補給が必須なのだ、と。
みんな、同じじゃないのですよね。素も必要な物も育っていく速度も。

いろいろな人と知り合って、一緒にいろいろやっていると、
そのことをいつも思い出します。
そして、共存する方法は、机上の論理では解明出来ず、
「とにかく、当たって砕けてみて」ようやく分ることも。
経験は、宝ですね。

そんな中「私は木かもしれない。」と、最近思うようになってきました。

ゆっくり育ちながら、人が集まってきてくれるのを、心待ちにしていて、
花が咲いたり、実が成ったり、葉が落ちたり、の、自己変化を楽しんでいる。

もしも、木だったとしたら、この大々大好きな二見の大ムクのように、育っていきたいなぁ。

二見の大ムク

大ムクの歌詞

レコーディングに協力して下さった小学校の音楽室にあった歌詞ボード。ウルウル・・


その「二見の大ムク」を見て作った曲のレコーディングをするために
(なんという贅沢!木を見ながらの演奏ですぞ)先日、お邪魔してきたのですが、
歌っている時、ふと、やりたいことがはっきりしたのです。
丁度「天衣無縫」という素敵な名前のお店のタオルを頂いたところだったので、
それも大きなヒントになりました。

「幹」の正体は、魂だ!と思ったのです。
そうすると、「枝葉」は、魂に彩りを与えてくれるもの、ですよね。
ならば、細工やわざとらしさが見えない自然な美しさを、まずは目指さないといけないのではないかなぁ。
魂があってこそ、の、彩りですから。
しかし、幹の部分で、自分らしさを出せるのだろうか。

でも、デジタル機器やソフトウェアの進化に置いていかれないよう努めてきたことで、
知識も膨らみ、使える道具も増えたけれど、
その分贅肉も増えちゃって困ったなぁと思っていたところなので、良いチャンスかもです。
便利モノに頼ると、自分のポテンシャルを引き出しそびれてしまいますからね。

タイムリーに、斎藤ネコさんが使っていた機材を里子に出してくれ、
それを機に、デジタル・ミキサーを廃業し、アナログミキサーに切り替えたところだったので、
目で文字情報を確認するのではなく、指でツマミを回しながら、
耳を頼りに制作する環境に思い切って変えてみました。

新システム

Mac Pro, Access VirusT1, Nord Stage Piano, Mackie Onyx1620i...e.t.c.



そして、シンプルな音のみ、3~4音の組み合わせとフレージングで音を紡いでみたところ、、、

今まで聞えていなかった音達が聞こえてくるようになり、インスピレーションが生まれ、
「あー、これこれ!」という感覚が、戻ってきたのです。
私が表現したいのは、「着飾った音」ではなく、
「寄り添う」「広がる」「離れる」「平行して歩いてゆく」というような
「前に進んでいく中で変化していく音の動き」だということも再認識!
なんとか自分の世界を築けそうな気がしてきました。

そこへ、なんと、これ以上ないというタイミングと内容の依頼があったのです。
光栄&出来過ぎ。
やっぱり、私を常に空から見守ってくれている神=お天道さまは、存在するのかもしれません。
で、夢中で挑んでいたら、海溝のような深みにすっぽりハマっちゃっていたわけです。

楽譜に頼らず、コード名にも頼らず、音色にも頼らず、自分らしいセンスを築いていく作業は、
苦しみも伴うとても大変な作業で、ふと気づいたら、体調を崩してしまっていましたが、
発見出来た時の喜びは一入でしたし、
大変尊敬しているシンガーの方にもとても喜んで頂けたので、
私のこの挑戦は、順調な滑り出しだったと言えると思います。
頑張ってこれをライフワークにしていこうと思います。

最後に、もう一つ夢中になっていたことを、紹介させて下さい。
それは、「脳」の研究です。
きっかけは、母(認知症)の行動でした。

母は、毎日大量の冷茶を作っています。それも面倒な方法で丁寧に。
でも、自分は飲みません。冷茶は、冷茶好きだった亡き父のためににせっせと作っているのです。
当然、消費されない冷茶ポットが冷蔵庫の中に何本も溜まっていくので、
老人ホームのスタッフと姉が、冷茶ポットを隠してしまいました。「腐った冷茶を飲んでしまったら大変!」と。
それでも母は、家中の空き瓶、タッパ、お茶碗などに作り続けます。
身体で覚えている「習性」ということもあるのでしょうが、
お茶の前は「お弁当を買ってくる」(母は食べない)を繰り返していたので、
「お供えしたい」という強い「意思」でやっているのだと思います。
そこから、意思は心で形成されるもの?それとも、頭で形成されるの?
という疑問がわいてきて、、、
さらに、数分前の記憶がないなどの記憶障害・認知機能の低下があるのに、
「表現力」は全く落ちていないことや、
ある種のことには素晴らしい能力を発揮することへの疑問がわいてきたのです。
一体、どういうことなのだろう?
脳と身体と心はどう結びついているのだろう?


そこで、調べてみたところ、脳は、もはや「神秘」の世界ですね。
驚いたことや発見したことを書き連ねると、100ページくらいになりそうです。
なので、今日は、脳科学者の素晴らしい演説のみを紹介させて下さい。
私のように家族の脳障害をきっかけに脳に興味を持って脳科学者になり、
さらに脳卒中を経験したことにより「結論」を導き出したジル・ボルト・テイラーさんの演説です。
まさに目から鱗という言葉が当てはまる素晴らしい内容で、
私が脳の研究にはまるきっかけとなった動画でもありますので、
ぜひご覧になってみて下さい!



論理的な左脳と、感覚的な右脳、全く別の二つの「人格」と言っても過言ではない脳が、
私達の人格を形成し、心も身体も操っていたのですねー。
たぶん、母の右脳は生きているのだと私は思います。
だから、涅槃を感じられ、幸せそうなんだなー。

そして、母譲りなのか、私も超右脳派だったことが分りました。
写真を撮るように物事を記憶し、図形を思い浮かべながら表現し、仲間意識が強く、
周りのすべての物・人とエネルギーの交換をし、感覚でいろいろを形成してゆく。
さらに、「今」を生きていて、「過去」や「未来」には興味がない。
って、、、まさに、私そのものです。(笑)

長年に渡って「過去」や「未来」に拘る人、
例えば、占いに依存する、大学受験のために高校生活を費やす、前に言ったことに拘り続ける、
目標がないと進めない、などの行動を見て、
「どうして?」と疑問を持ってきたのですが、
それが「過去」を見つめ「未来」を導き出す左脳派の人達の行動だということが分って、すっきりでした。
そうだった、みんな同じじゃないのだった。


というわけで、こんがらがっていたいろいろな糸を全てほどき終え、
超爽快な気分の今日この頃。




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