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小さな頃
長野県飯田市の「山」で生まれ、静岡県浜松市の「海」で育つ。
自然が好きなのはきっと子供の頃のいい思い出があるからです。
本を読んだり、絵を描いたり、室内でおとなしく遊んだ記憶は全くなく、
いつも外で物凄い勢いで走り回って遊んでいました。
音楽には縁遠い生活でした。
私が音楽に興味を持ったのは、小学四年生の時のことです。
友達が、学校のピアノで「エリーゼのために」を弾いていました。
「素敵だなぁ。」と思って駆け寄り、「教えて。」と頼むと、
「みおりちゃんには無理。だってピアノを習ってないじゃない。」と言われてしまったのです。
「へぇ、楽器は習わないとできないのか。」と一瞬諦めかけたけれど、
どうしても弾きたかったので、「絶対に弾いてやる。」と決意して家に帰り、
早速親に頼んでピアノの先生を見つけてもらい、ピアノを買ってもらいました。
毎日一生懸命に練習したら、次の年の発表会で念願の「エリーゼのために」を弾くことができました。
そんなに頑張ったことも、達成感を味わったことも、それまで経験したことがありませんでした。
そして丁度その快感を味わっている頃、「ウィーン少年合唱団」のコンサートがありました。
その当時、浜松では宣教師以外に外国人を見かけることはほとんどなかったし、
外国人が演奏したり歌っている姿は、勿論見たこともなかったので、
その日は「初めて外国人を見に行く。」つもりになっていました。
「エリーゼ・・」どころではありませんでした。かなりの衝撃を受けました。
白人達が声を出すとパーッと顔が桜色に染まっていき、曲が終わるとまた白くなる。
その様子が同じ人間とは思えないほど綺麗だったし、
勿論ハーモニーの美しさ、豊かさには感動して震えました。
それからドイツ語のパチッと弾けるように聴こえる子音もそれはそれは魅力的に感じられ、
この日、私の中にヨーロッパの音楽や文化への強い憧れが生まれたのでした。
こうして、お小遣いは全てレコード代に費やし始め、コンサート通いが始まり、
どんどん音楽にのめり込んでいったのです。
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中学校時代
中学に入ってPOPS、ROCKも聴くようになると英語の勉強も楽しくなり、
「斎藤塾」という風変わりな英語塾に入りました。
半分が東大進学を果たすほどの成果をあげていた厳しい塾ですが、決して入試目的ではなく、
英英辞典を使ったりして、実際に役立つ英語を教えてくれていたのでとても気に入っていました。
その一方、ピアノはそれまで教えてくれていた先生が「私のところは卒業ね。」といって、
有名な先生を紹介してくださったのですが、名前も忘れてしまったほど嫌いなタイプの男の先生で
「ピアノは好き」だったけれど、耐えられずにやめてしまいました。
まもなく独学でポップスピアノを始め、ギターも弾きはじめました。
そして、友達と合奏する楽しみを味わってしまったから、大変。
いつもどういう組み合わせならかっこいい音楽になるかを考えてばかりいました。
今のように多重録音ができる装置が発達していなかった不便な時代・・
でも、L、R別々に2チャンネル録音できるカセットデッキを、ある日見つけたのです。
「これならLchにピアノ、Rchにギターが入れられる!」と思い、
当時物凄く高価だったデッキとマイクを、誰にも相談しないで買ってきてしまいました。
私の録音オタク人生の始まりです!親に叱られたことは言うまでもありません。
リコーダーを吹くのは好きだったけれど、授業でやっていた記憶があるだけです。
でも、中学の音楽の先生はとても面白い授業をしてくれたと思います。
夏休みの宿題は作曲でしたし、弦ベースやドラムなど、
なかなか触れない楽器も使わせてくれましたから。
斎藤塾のためにブラスバンドには入れなかったので、授業が本当に楽しみでした。