2011_08/07
「深い川は静かに流れる」
久しぶりに神保町に行ってきました。
まず、狭い階段を上った和室のちゃぶ台にお洒落な洋食やフランスワインをサーブしてくれる古民家ビストロへ。
どうやら「新しい神保町の代表」らしい。
破れた襖、ボロボロの畳はそのままで、ノスタルジック感や和洋折衷の良さを出していて、
やりたいことはよく分かった。
けど、プラスチックに張りつけた木目模様のシールを見た時のような違和感。
料理もお持て成しも、然り。文句のつけどころはなかったけれど、
独創性があるわけでもなく、守ってきた本物の良さがあるわけでもない。
たぶん、人ではなく、マニュアルが店を動かしているのだろうな。
一方、同じ通りの同じような建物の中にある老舗珈琲店は、
古いけれどよく手入れされていて、清潔感があって、テーブルに素敵な花が生けてあった。
使い込んだ感じのポットや大事そうに並べられてある素敵なカップに、歴史と愛を感じたし、
ひんやり冷えたおしぼり、美味しいお水、店内に流れる音楽の音量や音質、店員さんの気配・・
どれにも店主の気遣いやこだわりが見え、とても居心地が良かった。
勿論、肝腎のコーヒーも、とびきり美味でした。
面白いなぁ。同じ地域の同じような建物でも、「思惑」が違うと、
こんなにも印象が違う店になるのですね。
人の力は偉大だ!
と思ったのですが、同時に、「流行」や「フランチャイズ」の強さも見せつけられてしまいました。
ビストロには人がいっぱい入っていて、珈琲店は空いていたからです。
なんだか古き良き東京の町が、そのうちなくなってしまうのじゃないかと心配になったので、
「私は、こんなふうに人の意思や温もりを感じられるお店の方が好きですよ。」
と心の中でエールを送りながら珈琲店を後にした。
そして、一番のお目当てである古本屋を目指す。
チリンチリンという音のする扉を開けると、
紙の匂いとインクの匂いとカビの匂いのミックスが、すぐに鼻を刺激してきた。
色が褪せたイイ色合いのカバーも目に飛び込んでくる。
あー、これこれこれ。
手で触った時の触感にも、めくる時の音にも、早速やられる。
天井まで埋まった本を片っ端から立ち読みする時間は、
CDを試聴する時の感じに似ていて、
自分がどっぷりと浸かれる「世界」を探すべく、五感がキビキビと働き始め、良い「飢餓状態」になります。
そして、「これぞ私が愛してやまない『真っ白な時』に連れていってくれるモノじゃないかな?」
と思える作品に出会うと、心も動き始め、ドーパミンの値が最高値に達するのが分るのです。
その勘が見事外れちゃうことも多いのですけれど、そういう時はそういう時で、
「やっぱり皆を裏切らないイイ音楽を作るぞっ!」という気持ちになれるので、
私にとっては、こういうふうに、やみくもに試聴したり立ち読みする時間は、
とても大切な時間なのです。
しかし、棚に収まりきらない本が山となって何本もそびえ立っている向こう側に、
ちらっと姿が見える御主人が、とても暇そうなのが気になってきました。
そういえば、入ってから随分経ったのに、私達以外のお客さんがまだ入ってきていない。
ここも、時代に置いていかれた場所なのだろうか?
売れないCDを日々一所懸命作っている身としては、シンパシーを感じざるをえません。
ちょっと話しかけてみようかな。
「すみません、○○の作品、置いてますか?」
そしたら、なんと「ありますよ。」と即答しながらすくっと立ち上がり、
左から2つ目の山の上から14冊目くらいから一冊と、その右の山の22冊目くらいから一冊と、
一番下の方から一冊、ずずずっと巧みに引き摺り出して、渡してくれたのです。
さらに、「すご~い!」という私の称賛に余裕のウィンクを返してきた。
ブラボー!
自分の専門分野に対する厳しくて真摯な姿勢こそがプロの姿勢、だと聞いたことがあります。
この古本屋さんの店主も、さっき行った珈琲店の店主も、
速い流れに惑わされず、店を守り抜くに違いない。
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