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2010_02/28 (sun)

精神の働き

先日、といっても1ヶ月半ほど前のことですが、(ああ、また随分放置してしまいました。)
夫が定年退職したので年金課に手続きに行ったところ、
「お気の毒ねぇ。大丈夫?払えますか?」と心配そうに言われてしまいました。
サラリーマンの妻ではなくなったので、自分が60歳になるまで年金を自力で払わなければいけなくなったわけですが、
私と夫の年齢が離れていて、その年数が長くなるので、です。
でも、そんなことは分かっていたことなので「準備してましたので、大丈夫です。」と答えると、
「今は大丈夫でも10年後も大丈夫なの?」「3月から値上がりするんですよ。」とか、
「どんどん不景気が進むこともありうるのですよ。それでも払えますか?」と聞いて、不安を煽ってくる。
『むむむ、どうしてこんなことを言われるのだろう?』と思っていたら、
一年半支払いを免除して貰える方法を、その後、丁寧に教えてくれたのです。
なるほどー。親切心からだったのですね。
でも、「あなた、これを利用すると30万円も得するのよ!」と言われても、
私は、ラクすることより、得することより、イキイキと生きることを選びたい。
それに、年金も含めて、助け合いのシステムは、1艘の手漕ぎボートに例えられると思うので、
一所懸命漕いでくれている人に負担がかからないように、
これ以上無理・・というところまで頑張って漕ぎ続けたいと思う。
そして、そういう健全な精神でいられる自分を誇りに思っている。
それなのに、「気の毒ね」とか「漕がなくていい方法があるのよ」なんて、、、あんまりだ。
どうして「頑張ってくださいね!」と言ってくれなかったのだろう。

一見優しく思えるこの手の「善魔」に、この頃、よく出会います。
そして、エネルギーを吸い取られます。
なぜって、、、うーん、上手く言えないけれど、
努力していることを馬鹿にされたような気分になるからかなぁ。
必死で作り上げた陶器を嬉しそうに抱きかかえていると、
「あら、そんな感じの器、100円ショップにあったわよ。」と言われるような感じですかね。
完成品だけが大切じゃないのにね、そこに至るまでの全てが宝物なのにね。

優しい言葉をかけたり、その場をしのがせてあげることは、たまには有効だけれど、
それは、その人のやる気や元気を奪うことに繋がることもあると思うのです。
それに、本気で応援することは、言葉で伝えるような簡単なことじゃないと思います。
その人をじっくり観察し、その人とじっくり話し、その人のためになることを導きだし、
それを「実行」して、初めて、その人の為になれるのではないかなぁ。
放っておいたり、見守ったり、苦痛を伴う試練を与えることも含めて。


丁度同じ頃、担当医から父に「もう病気と戦わずに、緩和治療に切り替えませんか?」
という最後の宣告があったのですが、こちらにも善魔登場・・でした。
介護の教科書があるとしたら、そこに書いてあるのだろうなぁと思われる模範発言が飛び交い、
こっちがいい、あっちがいいと仕切る人が多かった。
でも、それはよく聞くと、どれも机上の論理で、父の気持ちなど全く無視しているのだ。

父は冷静な人ですし、長く生きてきた分の経験や知識もあるわけですから、
皆が言ってくれることなど、全部分かっているのです。
こうした方が良いだろうということも分かっているはず。
その上で、無理でも、確率が悪くても、戦いたかったのだと思います。
何かに立ち向かうことで、力を生み出したかったのだと思います。
なので、戦うチャンスを奪われてから、急激に弱りました。

でも、ご安心ください。病状は決して良くなっていませんが、
現在の父の精神状態は安定しています。
それは、最後まで戦い抜くことに賛同している私が顔を見せに行くようになったからです。
そう、ただ傍にいるだけのために、毎週通っているのです。
話を聞いてあげて、にっこり笑うだけ。
「私こそがノンキーだわ」と、最初は、ちょっと抵抗がありました。
だって、私だっていろいろ勉強してきたし、経験してきたし、
足だって手だってあるのだから、そういうことを生かさないで、
ただ座って話を聞いてあげるだけというのはねぇ、なんだか、さぼっているような気分なので。
でも、父が「みおりの顔を見るだけで力が沸いてくる。」と、毎度言ってくれるので、
考えが変わってきました。
人に必要なエネルギーは、無理やり作り出したエネルギーではなく、
ひねり出したエネルギーでもなく、
にじみ出てくるエネルギーなのだろうなって。


なーんて、偉そうに言っている私ですが、
実は、上の事件やあれやこれやいろいろあって、しばらく私自身も闘志や元気を失っていました。
一旦冷えきってしまった体温を上げるのが大変なように、
冷めた気持ちを高めるのには、相当なエネルギーが必要なのだなぁと実感致しました。
もがいてももがいても這い上がれない感じは、焦りも生みますね。
でも、それを払拭してくれたのが周りの人達の存在でした。
そう、にじみ出てる友のエネルギー。
絶不調であることを誰にも知らせなかったのに、以心伝心なのかなぁ、
タイムリーに、私の音楽を聴いたり日記を読んだりして頑張ってるよと報告してくれる友や、
素敵な場所での演奏会依頼をしてくれた友が居てくれた。
嬉しかったです、すごく。力を貰いました。ありがとうございました。

そうそう、久しぶりに観に行ったネコかるのステージも良かったなぁ。
いろいろな意味で本物の良さを見せて貰え、大いに刺激を受けました。
ネコさんや藤森さんは、やっぱり凄い。揺るぎない柱が存在する。
そして、パワフルな人の近くにいくって、大事だなぁと思いました。

それから、どん底の時、『褒めなさいよーっ!』光線を浴びせつつ、
「ねぇ、私の良いところってどこだと思う?」と質問したら、
「どんなことも一所懸命頑張るところ。」と答えてくれ、
さまざまなアドバイスをくれた俊輔君にも感謝です。丁稚くん、育ったなぁ。。。
でも、そうよね、オリンピックを見ていても、頑張っている人達の姿って本当に素敵だものね。
実は、どんな人も、頑張っている姿が一番素敵な姿なのかもしれませんね。
そして、頑張っている時に、例の「にじみ出るエネルギー」が、生み出されているような気もします。

というわけで、やっと元気を回復し、また、いろいろ頑張り始めました。
すっごく素敵になりそうな曲も出来ていますし、
milly la foretの次のアルバムのコンセプトもばっちり決まったし、
○○健バンドの3/12ライブ用のキーボードの練習もしているし、
友遊と吉沢実先生で行う3/15ボランティアコンサート用のリコーダーの練習もしているし、
ノンキー青空市の詳細も決めましたよ!
(まずは、2~3日中に、過去に参加して下さった方々に、メールでお知らせします)
うぅぅぅぅおおおおぉ、美織、復活だ~っ!

そうそう、ある人が「例え心が通ってない相手とでも、頑張れば良いものを生み出せるはず。
生み出せなかったら、それは、自分がそのチャンスを生かさなかったからだ。」と言い切った時、
「へぇ、すごいなぁ、強いなぁ。」と感心したことがあったのですが、
心が通い合っている人との共同作業は、
少なくとも1+1=3以上で、100になることもあるけれど、
心が通い合ってない人との共同作業は、
1+1=2か、それ以下になるような気がする、いや、なる、と、私は断定しちゃいましょう。
精神の働きを馬鹿にしちゃぁいけない。



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